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903グラムで生まれた自分 救ってくれた病院を訪ねた 将来は医療の道に

久保田君の作品全文を掲載

 

第38回「全国高校生読書体験記コンクール」文部科学大臣賞

 

 

九百三グラムの命をみつめる旅

 

福井県立藤島高等学校 二年 久保田琉仁 

 

 今年の夏、私は十三年ぶりに沖縄、石垣島を訪れた。石垣島は、私が三歳まで暮らしていたところだ。空港に降り立った途端、南国独特の甘い風が吹き抜けた。空はどこまでも青く、海はエメラルドグリーンに輝いている。この島で生まれたことを誇らしく思えた。

 

 私には、行きたい場所があった。それは、私が生まれた病院だ。そのきっかけを作ってくれたのは一冊の本だった。私と同じ、超低出生体重児の貴陽君という男の子の本だ。両親から、私の誕生の時の話は聞いていたが、超未熟児だったという実感は私になかった。でも、貴陽君の本を読んで、自分の命を救ってくれた病院に行ってみたいと思うようになった。

 

 貴陽君、七百六十四グラム、二十七週

 

 私、九百三グラム、二十九週

 

 グラムは出生時の体重、週は妊娠を維持できた期間である。出産までは、正常で約四十週といわれている。二人の差は、体重は百三十九グラム、期間は二週間だ。ほんのわずかな違いだが、決定的に違うことがある。それは私は今、生きているということだ。現在、私は高校二年生、やせてはいるが平均的な体型になり、健康に暮らしている。しかし、貴陽君は、生後二ヶ月で亡くなっている。超低出生体重児には、たくさんの生命の危機がつきまとう。いろんな奇跡が重なり合い、私は今、生かされている。

 

 日本最南端の総合病院が、私の生まれた所。そこにはNICU、新生児特定集中治療室がある。早産、低出生体重、重い疾患のある新生児を集中的に管理、治療するところだ。私はここで、生まれた日から出産予定日だった日までの三ヶ月間を過ごした。当時の先生が現在も勤務されていて、私の訪問をとても喜んでくださった。そして、私の希望でNICUを特別に見せてもらうことができた。NICUの中に入れるのは、親族でも新生児の父母だけだ。NICUの窓の外側に小さなベランダがあり、私はそこから窓越しにNICUの中を見ることになった。

 

 たくさんの保育器が並んでいた。その中にいるのは、本当に小さな子ばかりだ。私は、自分が生まれた時の写真を思い出していた。小さな体に隙間が無いくらいガーゼや管が貼られ、顔や手足はやせ細っている。身体の大きさはティッシュの箱を少し大きくしたくらいで、まるで胎児のような写真だ。NICUでは、そんな死と隣り合わせの新生児たちを二十四時間体制で診ている。そこで働いている先生や看護師さんたちの優しい笑みの下には、戦場で戦っている、強くてたくましい顔が見える気がした。

 

 ふと横を見ると、初老の女性が私の左に立ってNICUを見ていた。NICUの中には父母しか入れないため、祖父母などは、ここから赤ちゃんを見ることしかできない。祖母らしきその女性は涙を流していた。

 

 「私も、この中に三ヶ月いたんですよ」

 

 私は思わず声をかけた。女性は驚いた様子だったが、私が九百三グラムだったこと、今は健康でいることなど話していくうちに、安心したようだった。その女性は、十六年前の私の祖母だと思った。祖母は、この場所で初めて私と対面した。そして、今まで見たこともないような小さな赤ん坊を見て、衝撃と不安で涙を流した。これでは育たないだろうと、哀れんで流した涙だった。このNICUを見ることができる小さなベランダは、赤ちゃんを思う家族の愛で満ちている。今は亡き私の祖母の思いも、確かにここにあったのだ。

 

 この本も、両親の子供への愛であふれている。多くのページは、貴陽君が自分の気持ちを自分で語っているように書かれている。自分では痛いとか苦しいとか言えない我が子の代わりに、父親が子供の心を代弁しているのだ。その言葉を嚙み締めながら、本を読んだ。私の両親も私が生まれた時、貴陽君の父親と同じように悩み苦しみ心配してくれたからだ。

 

 病院の先生にお礼を言って外に出ると、空は変わらず青かった。私は今生きている、そう実感した。普通の生活、普通の高校生、その普通って、本当はかけがえのない尊いものなのだと気付いた。勉強が嫌だ、部活が面倒くさい、親がうるさい、なんて言えるだけ幸せなのだ。人間はいつかは死ぬ。当たり前のこのことを普段は全く忘れて生活している。死ぬまでの一日一日が、与えられた尊い時間なのだ。NICUで今を精一杯生きている赤ちゃんを見ると、そう思わずにはいられない。

 

 NICUを卒業して十六年。私の人生は、ここから始まった。そんな私だからこそ、これからの人生にどんな困難があろうとも立ち向かって進んでいける気がしている。

 夏の盛り、病院の外では、羽化して一週間しか生きられないというせみたちが、命の限り鳴いていた。まるで、私に生き方のお手本を見せてくれているかのように。

 

体験書籍『いつか貴い陽のしたで』辻 聖郎・著